交詢社結成の社会的意義 : 新たな社会結合の実験

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タイトル別名
  • コウジュンシャ ケッセイ ノ シャカイテキ イギ : アラタナ シャカイ ケツゴウ ノ ジッケン
  • Kojunsha kessei no shakaiteki igi : aratana shakai ketsugo no jikken
  • Kojyun-sha and Meiji society: the founding of a new social association in modern Japan

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説明

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交詢社ほど、内外で評価のことなる結社も珍しい。まずは、交詢社側の自己認識を問うてみよう。『交詢社百年史』の冒頭では「交詢社は明治十三(一八八○)年一月二十五日、福沢諭吉の主唱のもとに、知識を交換し世務を諮詢することを目的として結成された日本最古の社交クラブである」と書かれている。交詢社の自己認識としては「社交クラブ」なのである。しかし、一方で、日本政治史の側からすると、一種の政治的な機能をはたしていたとする評価が一般的である。例えば、後藤靖は「福沢諭吉、小幡篤次郎ら慶應義塾関係者を中心にして、明治十三年一月二十五日に創立された交詢社は、その社則第一条で『社員たるもの互に知識を交換し世務を諮詢する』社交倶楽部であり政治的運動体ではないと自らを性格づけながら、その実、主観的にも客観的にもきわめて重要な政治的役割を果たしつづけた」と述べた。以前、拙稿でも、交詢社を政治的な役割からみて、都市民権結社の一つとして考えたことがある。では、創立者たちはどのように考えていたのか。創立の事実上の中心であった福沢諭吉自身も、交詢社が発会した後の一八八○年二月二九日の会合で次のように演説している。方今政治ノ談ハ世間二喧クシテ社員二官員ノ数モ甚タ多キカ故二或ハ之ヲ政談会社ト思フモノモアラン。尚甚シキハ世間ノ少年輩ハ之ヲ一種ノ政党ト誤認スルモ計リ難シ。去リ油ハ又鄙劣ナラスヤ。人間世界政府ノ外二棲息ノ余地ナカランヤ。政談ノ外二諮詢ス可キ事ナカランヤ。余輩ノ所見ニテハ是等ノ外二悠々トシテ迫遙ス可キ地アリ。孜々トシテ勉強ス可キ事アリ。区々ノ政府ヲ目的トシテ之二熱心シ或ハ之二合シ或ハ之二離ル・力如キ鄙劣ノ談ハ本社二於テ終始関ラサル所ナリ福沢諭吉は、交詢社の求めるところは政治ではないとしている。彼によれば、政治以外になすべきことは多いのである。それでは、交詢社が自らの主要な任務としていた、そのような非政治的な活動とは何であったのであろうか。この問題を、福沢諭吉ら創立メンバーが交詢社結成にこめた意義に遡って考えてみること、これが本稿の課題である。

特集・交詢社創立百二十五年

収録刊行物

  • 近代日本研究

    近代日本研究 22 133-162, 2005

    慶應義塾福澤研究センター

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