『知説』における西周の人間性論

書誌事項

タイトル別名
  • 『チセツ』 ニ オケル ニシ アマネ ノ ニンゲンセイロン
  • "Chisetsu" ni okeru Nishi Amane no ningenseiron
  • A Theory of Human Nature in Nishi Amane's "Chisetsu"

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説明

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拙論「西周の『生性発蘊』とコントの人間性論」において,わたくしは,コントの人間性論が西に貴重な資料にはなったとはいえ,西自身の人間性論とはなっていないことを指摘しておいたのである.これに対して『知説』は,明治7年代の西自身の人間性論を表わしているのである.ところで『生性発蘊』が明治4~6年に執筆されたのに対して,『知説』は,明治7年9月から12月にかけて明六雑誌上に公開されている.そこで『知説』は,『生性発蘊』と密接な関係があると予想されるのに,二,三の点を除き,かなり違った人間性論が展開されるのである.このことは,明治7年前後の西がコントの人間性諭に必ずしも満足しなかったことを示している.そこで,ここでは『知説』の中の西の人間性論を明らかにし,その由来を検討してみることにしよう. I have tried in this paper to specify Nishi Amane's theory of human nature in the "Chisetsu" written in the Meiji 7, and to examine the differences between the "Seiseihatsuun" and the "Chisetsu." Furthermore, I have tried to describe Nishi's general development of a theory of human nature from the "Hyakuichishinron," through the "Hyakugakurenkan," to the "Chisetsu."

1. 人心の三分説と智主位主義 2. カントと西周 3. ヘヴン心理学の三分法説 4. 西の智主位主義 5. 智の分析 : 才能識論 6. 形質観による智の分析 7. 智、情、意の機能 8. 西の人間性論の変遷 9. ウィリアム・ハミルトンと西の智主位主義

収録刊行物

  • 哲學

    哲學 59 25-53, 1972-08

    三田哲學會

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