生ける主体としての人間 : ドイツで抑圧されるもの

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タイトル別名
  • イケル シュタイ ト シテ ノ ニンゲン ドイツ デ ヨクアツ サレル モノ
  • Der Mensch als lebendes Subjekt : Was im deutschen Sprachraum unterdruckt wird

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説明

カントにおいて完成に到った主客概念における主体とは本来、認識(論)的であるが、19世紀末から、認識論的な世界観の相対化と並行して、生物論的な意味方向への変質拡大を起こし、現代の「生ける主体」の包摂にまで至っていると言える。これは、神中心で人間が客体であった状態を抜け出した近代/モデルネから始まる「思索する主体」としての人間観の、移っていった一つの極点に他ならない。神との間で人間が主体となったときには、神に対する人間の関係が、究極的に、生物と連動する主体として問題になると言える。 ドイツ語圈では、そのとき-「生きる主体」というものは、初発にはドイツ語圈で展開しているものの-人間観が精神的なレベルから生物的な意味へ広がる傾向が希薄で、それはむしろフランス側に、顕著である。

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