<i>Prajñāpāramitopadeśa</i>におけるアーラヤ識

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  • <i>Ālayavijñāna</i> in the <i>Prajñāpāramitopadeśa</i>
  • Alayavijnana in the Prajnaparamitopadesa

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抄録

<p>瑜伽行派の中心思想であるアーラヤ識は,ダルマキールティの登場以降,インド撰述文献史上極端に言及されることがなくなる.本稿は,そのアーラヤ識がラトナーカラシャーンティの主著Prajñāpāramitopadeśa(PPU)において,どのように解釈され,如何なる役割を担うかを明らかにするものである.</p><p>PPUにおけるアーラヤ識解釈は伝統的な瑜伽行派の文献に依拠するものである.特に『唯識三十論』等にみられる「一切の習気・種子を保持するもの」としてのアーラヤ識解釈を重要視し,そのアーラヤ識を根底におきながら悟りへの階梯を示す.ただし,『唯識三十頌』第5偈a句 “tasya vyāvṛttir arhatve” という転依の解釈については,PPUは『唯識三十論』と異なる解釈を行う.この相違は,「一切の習気・種子を保持するもの」としてのアーラヤ識を重要視するラトナーカラシャ‍ーンティの立場を反映したものと考えられる.</p><p>PPUにおいてアーラヤ識は「一切の習気・種子を保持するもの」として論じられ,その種子の消滅システムによる転換,つまり転依が,ラトナーカラシャーンティの悟りへの階梯として示される.そして,これがPPUの『唯識三十頌』第5偈a句解釈にも反映されているものと理解され,さらに中観派に対する批判の重要な役割をなすのである.</p>

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