龍樹の縁起観・仏陀観

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  • Nagarjuna's Views of Dependent Origination and the Buddha

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抄録

龍樹の思想を理解するには,その縁起観の解明が欠かせない.というのも,彼自身はブッダ(釈尊)が説いた縁起を空性と捉えており,一方で,現代の研究者の多くは龍樹の縁起を「相互依存(相依性)の縁起」と捉えているからである.私の研究によれば,『中論頌』における「縁起」の根底にあるのは仏説としての「十二支縁起」であり,邪見・顛倒の断滅による涅槃を目的とした十二支縁起(とくに還滅分)を,戯論の寂滅・分別の滅によって解脱に至る吉祥なる教え(つまり空性の縁起)として捉え直したものである.また,「相互依存の縁起」という捉え方は,まず『空七十論』において強調され,『無畏論』や『青目註』において発展的に継承されていき,一方では『ヴァイダルヤ論』において概念間の関係として展開していき,最終的には,月称によって確立されたものである.つまり,龍樹作とされる文献群やその註釈書においてその縁起観は変化・展開しているのである.その際,注目すべきは,各文献に見られる仏陀観である.龍樹作とされる文献群には「単数形のブッダ」と「複数形のブッダ」の対比が見られるが,『中論頌』では,前者が釈尊を指し,後者は龍樹の思想的支援者(あるいは「大乗のブッダ」)を指している.ところが『六十頌如理論』では逆に,「単数形のブッダ」が「不生不滅」の縁起を説くブッダであり,「複数形のブッダ」は伝統的教理の説者となっている.これが『宝行王正論』になると,「複数形のブッダ」は伝統的な教理も大乗の教理も説く,いわば普遍的な存在と捉えられている.この仏陀観の違いは,各文献の著者が異なることを示している.同様に,龍樹文献群における縁起観の変遷も単に龍樹個人の思想的な発展・深化ではなく,著者そのものの違いを示唆していると考えられる.

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