<研究論文>高島北海『写山要訣』の中国受容 : 傅抱石の翻訳・紹介を中心に

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タイトル別名
  • The Reception of Takashima Hokkai's Shasan yōketsu in China : Focussing on Fu Baoshi's Translation and Introduction
  • タカシマ ホッカイ 『 シャサン ヨウケツ 』 ノ チュウゴク ジュヨウ : フホウセキ ノ ホンヤク ・ ショウカイ オ チュウシン ニ

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抄録

本論文では、画家であり、地質学者でもある高島北海(1850年~ 1931年)の画論『写山要訣』(1903年)がどのように中国で受容されてきたのかを検討する。とりわけ中国の画家傅抱石(1904年~1965年)の翻訳・紹介活動に焦点を当てる。彼は『写山要法』(1957年)という新タイトルをつけて、中国語訳本を出版した。 まず、中国における『写山要法』の出版は、当時の中国における社会主義リアリズムの風潮が契機となっている。1950年代の中国は、写実的な山水表現が求められていた。『写山要訣』では、地質学の知識を東洋山水画に活用するという新説が提示されており、実用的な著作である。そのため、傅抱石はおよそ二十年前に完成した訳稿をこの時点で出版した。 次に、『写山要法』の内容を検討すると、傅抱石が添削や注解を施して、中国読者に受け入れやすいようにと、意識的に内容の調整を行っていた事実が判明する。この調整においては、中国に関する事項を強化するとともに、日本に特有の要素は削除することを中心にしている。それによって、日本語版の原本の基礎をなす「地質学画論」は、中国の伝統的な絵画理論を継承している書物であるという印象を与える書物に変貌した。 最後に、高島北海の『写山要訣』は、画論ではなく、あくまで「科学」的な地質学の書として中国の読者に認識された。それは傅抱石が紹介する際、高島北海という人物より、科学・地質学の概念を強調したことに起因すると推定される。さらに、傅抱石は中国語の地質学専門書を参考にして、画論や制作において独自の解釈を行っていたことも関係していると推測する。換言すると、傅抱石の翻訳・紹介を介することで、中国版の読者には、日本語の原本『写山要訣』は科学的な地質学書として認識されると同時に、『写山要法』は傅抱石が中国伝統画論に基づいて作られたオリジナルの著書であるというような誤解を招いた。その結果、『写山要訣』が中国で及ぼした影響力は、長い間認識されないままとなっていた。本稿は、この著書とその中国語への翻案に潜んでいた美術史的な価値を検討し、それが再評価に値するものであることを立証することを目的とする。

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