Recent urban economic changes and urban development programs in a coastal city Tokushima

  • Toyoda Tetsuya
    Institute of Socio-Arts and Sciences, The University of Tokushima

Bibliographic Information

Other Title
  • 沿海都市・徳島市における近年の経済変化と開発計画

Description

徳島県の人口は吉野川流域と海岸部の平野に集中し、徳島市はそのかなめに当たる位置に立地する。都市としての起源は、16世紀末に吉野川河口に建設された近世城下町にある。1889年の市制施行時、徳島市の人口は四国最大の6.3万人、当時の順位では全国第10位であったが、その後の人口増加は鈍く、1960年代に四国の県庁所在都市中で最下位となった。徳島市は交通体系の幹線から外れ大都市の市場と離れていたため、近代都市への転換の推進力となる大規模な工業の発展から取り残された。その結果、経済基盤に占める商業の比重が相対的に高まり、消費都市としての性格を強く帯びることになった。<br> <br>1998年4月の明石海峡大橋開通によって、徳島市は陸路で関西方面と直結し、交通体系は大きく変化した。高速バスの所要時間は神戸市まで1.8時間、大阪市まで2.5時間で、利用者数は年間140万人から200万人へ増加している。輸送の安定化は農業・水産業、製造業などにメリットをもたらした。しかし、時間距離短縮の効果は京阪神地域からの日帰りを容易にし、オフィス立地など業務機能についてはむしろマイナスにはたらく可能性がある。また、徳島市の商業集積は規模や魅力の点で劣位にあり、関西方面への消費流出が進んでいる。<br> <br>東日本大震災と津波被害の経験は、沿海部に立地する都市の災害リスクを再認識させた。南海トラフ大地震が発生すると徳島市は7mの津波や地盤液状化を被ると予想される。徳島県では2012年末に津波警戒区域を設けて土地利用の規制に乗り出した。こうしたリスクは地価の下落など不動産市場に深刻な影響を及ぼしており、人口流出の加速や所得の低下、経営環境の悪化と撤退、生活利便性の低下とさらなる地価下落へと負のスパイラルを引き起こすことが懸念される。徳島市の都市計画マスタープランでは集約型都市構造を掲げてきたが、安全な内陸部で土地開発を促進し都市機能の移転を図るべきという意見も強まっている。災害に強い都市づくりとコンパクトシティの理念の間に生じる矛盾をどう克服するかは都市計画の大きな課題である。<br>

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Details 詳細情報について

  • CRID
    1390282680671117824
  • NII Article ID
    130005489889
  • DOI
    10.14866/ajg.2015s.0_100240
  • Data Source
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • Abstract License Flag
    Disallowed

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