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プラジュニャーカラグプタおよびその先駆者たちによる<i>Pramāṇasamuccaya</i> 1.11abに対する別解釈

書誌事項

タイトル別名
  • Another Interpretation of <i>Pramāṇasamuccaya</i> 1.11ab by Prajñākaragupta and His Forerunners
  • Another Interpretation of Pramanasamuccaya 1.1 lab by Prajnakaragupta and His Forerunners

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抄録

<p>ディグナーガはその著書Pramāṇasamuccaya(vṛtti)(PS (V))1.11abにおいて,認識が認識自身の顕現(svābhāsa)と対象の顕現(viṣayābhāsa)との両方をもつこと(二相性)を論証するが,その論証には複数の解釈の余地がある.本稿では,プラジュニャーカラグプタのPramāṇavārttikālaṃkāraおよびデーヴェーンドラブッディのPramāṇavārttikapañjikāやジネーンドラブッディのPramāṇasamuccayaṭīkāを用いて,従来の研究とは異なる解釈を提示する.</p><p>PS 1.11ab(viṣayajñāna-tajjñāna-viśeṣāt tu dvirūpatā/)に関して,従来の研究では,ヴァスダララクシタやカナカヴァルマンのチベット語訳に従って,dvirūpatāの基体としてjñānaを補い,理由を表す前半の複合語をDvandvaとgenitive Tatpuruṣaによって分解するのが一般的である.この場合,対象認識とその対象認識に対する認識との違いによって,認識一般の二相性が論証される.一方,プラジュニャーカラグプタ等のダルマキールティの後継者達は,PSVの内容から,対象認識に対する認識の二相性によって対象認識の二相性を論証する全く別の論証を導き出す.さらにデーヴェーンドラブッディらはその解釈に沿って,「対象認識は,対象に従ったあり方をもつものとして自身の認識(対象認識の認識)によって所縁とされるから,対象の形象をもつ」という整備された論証式を提示する.この論証式と照らし合わせることによって,理由句の複合語をlocative TatpuruṣaとKarmadhārayaによって分解し,tadをviṣayaと結びつけるという彼らの特殊なPS 1.11ab解釈の意義が明らかにされた.</p>

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