カマラシーラ著*<i>Avikalpapraveśadhāraṇīṭīkā</i>における八種比喩の解釈

  • 佐藤 晃
    Assistant Professor (without tenure), Waseda University, Litt.D.

書誌事項

タイトル別名
  • Kamalaśīla’s Interpretation of Eight Similes in *<i>Avikalpapraveśadhāraṇīṭīkā</i>
  • Kamalasila's Interpretation of Eight Similes in *Avikalpapravesadharanitika

この論文をさがす

抄録

<p>Avikalpapraveśadhāraṇī(以下,APrDh)は,瑜伽行唯識派における無分別知及び後得知に関する理論構築の典拠の1つと考えられる経典である.後期中観派は瑜伽行唯識派に対してその理論的価値を一定程度認めるが,そこに属するカマラシーラ(Kamalaśīla, ca. 740–795)はAPrDhに対する注釈書*Avikalpapraveśadhāraṇīṭīkā(以下,APrDhṬ)を著わし,また,別の著作においてもAPrDhを引用する.本稿は,特に,後得知を説明する際に使用される「幻」(māyā)を始めとする八種の比喩に対するカマラシーラの解釈を検討の対象とし,その解釈の思想史的背景の一端を検討するものである.</p><p>APrDhでは,無分別知を既に獲得した菩薩は,その後に後得知を獲得し,それにより一切法を幻等の如くに見る,と説かれる.幻等の八種の比喩は,菩薩が見る一切法に含まれる具体的な事物を示しているとも考えられる.カマラシーラはAPrDhṬにおいて,それら八種の比喩に関して二通りの解釈(解釈(A)と解釈(B))を示している.例えば,幻は,解釈(A)では「有情世間に含まれるもの」と解釈され,一方で,解釈(B)では「六内処」と解釈される.実に,幻等の比喩については,中観派の論師達は世俗諦に関する文脈で頻繁に使用しており,カマラシーラも例外ではない.しかし,APrDhṬに見られるような解釈は,管見の限り,中観派諸論師の著作内では見当たらない.そこで本稿では,瑜伽行派文献を調査対象とし,特にヴァスバンドゥのMahāyānasūtrālaṃkārabhāṣya(以下,MSABh)及び*Mahāyānasaṃgrahabhāṣya(以下,MSgBh)における解釈を取り上げ,カマラシーラによる解釈との比較検討を試みた.</p><p>本稿では,APrDhṬにおける解釈(A)とMSgBhに示される第二解釈との相関関係が確認できる点,そして,APrDhṬにおける解釈(B)とMSABhの解釈との相関関係が確認できる点を指摘し,カマラシーラの解釈に至る過程でヴァスバンドゥの解釈が影響を与えている可能性を指摘した.</p>

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ