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学問的認識論としての『精神の現象学』「序文」- (その四)第二六段落

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  • Die »Vorrede« der Phänomenologie des Geistes als wissenschaftliche Erkenntnistheorie -4.§26

Abstract

type:text

本稿は、神山伸弘「学問的認識論としての『精神の現象学』「序文」―(その一)第一段落~第十二段落)『跡見学園女子人学文学部紀要』第五〇号、二〇一五年、十九~五五頁、同「(その二)第十三段落~第十九段落」同第五一号、二〇一六年、十七~四一頁、同「(その三)第二十段落~第二五段落」同第五二号、二〇一七年、一~二三頁、の続編である。 以下に本号までの内容目次を掲げておく。一.はじめに二.ヘーゲルの内容目次三.「序文」の検討―学間的に認識することについて。(一)真なるもののエレメントは概念であり、概念の真の形態は学問的なシステムである。(二)精神のいまの立場(以上第五〇号)(三)形式主義に反して、原理は完結するものではない(四)絶対的なものは主語であるが、(五)主語はなにであるか。(第十九段落まで第五一号、第二〇段落以降第五二号)(六)知のエレメント 第二六段落がもつ論理構造を透明化する必要性。「純粋な自己認識」の場面=「絶対的に他であること」。「純粋な自己認識」=「エーテル」の哲学的考察。「純粋な自己認識」=「エーテル」のヘルダーリン起源。「エーテル」理解のニュートン的段階としての「普遍態」。「エーテル」は精神・イエス・父の依代である。「ゴルゴタの丘」との対応。「哲学の<はじまり>」と「純粋な自己認識」の関係。最初から「純粋な自己認識」ができるわけがない。「単純な直接態」がもつ<折れ返り>の度数。「学間」がわの「希求」と「個体」がわの「権利」。「個体」の「絶対的な自立態」と「直接的な確信」に架ける「梯子」。「梯子」外しによる「学問」と「意識」の相互顛倒。非自己意識的な「意識」としての「自然な意識」。「自然な意識」の「自己意識」が「直接的な白己意識」。(以上本号)

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