我が国における要路体系変遷史の再検討
研究課題情報
- 体系的番号
- JP07458020 (JGN)
- 助成事業
- 科学研究費助成事業
- 資金配分機関情報
- 日本学術振興会(JSPS)
科研費情報
- 研究課題/領域番号
- 07458020
- 研究種目
- 基盤研究(B)
- 配分区分
-
- 補助金
- 審査区分/研究分野
-
- 複合領域 > 地理学 > 人文地理学
- 研究機関
-
- 京都大学
- 研究期間 (年度)
- 1995 〜 1996
- 研究課題ステータス
- 完了
- 配分額*注記
- 7,200,000 円 (直接経費: 7,200,000 円)
研究概要
国土の動脈というべき悪路の体系は、まず古代国家の手で、7世紀中葉から8世紀前半にかけて作り上げられた。その体系が大きく変化するのは、8世紀から9世紀初頭の時期、すなわち平安京の成立前後であった。変化要因の一つは、首都が奈良盆地から京都盆地北部へ移動したことであるが、もう一つの要因は平安京政府の駅路行政改革というべき、駅家と官道の整理縮小政策であった。南海道、関東平野、北陸道を対象としたこの問題に就いての成果が、足利健亮「古代交通路と駅家」(桑原公徳編『歴史地理学』平成9年2月)、金田「南海道」(木下良編『古代を考える・古代道路』平成8年)および金坂「北陸道」である。 古代直線道路計画は、中世・近世の間に、一つは整備の力が持続性を失うという変化要因により、もう一つは、武士政権からみた必要度とそれを実現する力という変化要因によって、大きな体系変化を経験する。足利は「法性寺大路」の消滅の例と、「湖東平野東山道の遷移」の例について契機と時期を実証する試みを行い、体系変化の実相を明らかにした。 現代の悪路体系に関わる問題点については、成田が「現代悪路体系の地域的意味」において、中国地方の高速道路を事例として、その開通が沿線都市間の分業と協業という望ましい関係を必ずしも成立させないことを明示し、豊田が「瀬戸大橋の地域経済に及ぼす影響と地価変動」で、四国地域に瀬戸大橋がもたらした経済的影響を整理し、悪路体系と地域変化の関連を示した。さらに石川は、航空サービスという高速交通網と情報ネットワークの急激な発達という側面から、「時空間収束」による国土の縮小を例示しつつ、悪路体系変化の未来を予見した。