台湾海峡金門島・馬祖島から読み解く近現代東アジアの社会変動
研究課題情報
- 体系的番号
- JP16K03072 (JGN)
- 助成事業
- 科学研究費助成事業
- 資金配分機関情報
- 日本学術振興会(JSPS)
科研費情報
- 研究課題/領域番号
- 16K03072
- 研究種目
- 基盤研究(C)
- 配分区分
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- 基金
- 審査区分/研究分野
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- 人文社会系 > 人文学 > 史学 > アジア史・アフリカ史
- 研究機関
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- 筑波大学
- 研究期間 (年度)
- 2016-04-01 〜 2019-03-31
- 研究課題ステータス
- 完了
- 配分額*注記
- 4,680,000 円 (直接経費: 3,600,000 円 間接経費: 1,080,000 円)
研究概要
本研究では、台湾海峡に浮かぶ金門島と馬祖列島の近現代史と島民の民俗誌を探求した。日中戦争時期、金門島は日本の支配下におかれ、馬祖は対日協力組織「福建和平救国軍」の支配下に置かれた。1950年代以降は、台湾の国民党政権により国共対立の最前線に位置づけられ、「戦地政務」と呼ばれる政策の下で、島民の戦時動員と経済開発が推進された。 つまり金門と馬祖は、20世紀以降日中戦争、国共内戦、台湾海峡危機、冷戦と、戦時態勢のなかに置かれたのである。1930年代から約半世紀に及ぶ時期、日本軍の統治や国民党政権による「戦地政務」が、地域の人々に如何なる影響を与えたのか、本研究では、現地調査に基づき検討を加えた。
金門島は日本軍の統治の下、人馬の徴発や阿片の栽培が行われた。ゆえに人々の日本に対する歴史記憶は厳しい。1950年代以降には、国民党の「戦地政務」の下で、軍事管制と地域開発が推進された。管制は苛酷であり、島民の生活には多くの制約が課された。自衛団への服役義務に加え、1958年の砲戦では生命の危険に晒された。しかし島民は戦時態勢に順応し、軍人と共生していった。政府の戦地政務は、厳格であった一方で、経済的利益を得た島民はこれを肯定的に回顧している。現在も島民の国民党に対する支持率は高く、大陸中国との交流にも積極的である。日本人は、台湾政府の統治区内にこうした地区が存在することに注意を払うべきである。