本研究は戦時期~戦後復興期における炭鉱経営について、三井鉱山株式会社田川炭鉱の事例を取り上げ、企業の内部資料によってその推移を考察した。その結果、田川炭鉱は、戦時期~戦後復興期にかけて非常に厳しい状況のなかでも、筑豊地域ではトップクラスの出炭量を維持していた。その要因としては、労働力の多投のほか、戦後復興期については資材も比較的に多く投入されていたことを指摘した。他方で、戦時期に入る頃には炭鉱そのものが老朽化しており、石炭の品質や出炭能率については大幅に低下し、九州地方の平均以下となっていた。こうした状況を反映して、田川炭鉱の出炭総原価は上昇し、戦後復興期には赤字を累積していくこととなった。
これまで、戦後復興期石炭産業史研究については、傾斜生産方式のような産業政策に関する議論が中心であり、個別企業の内情は、ほとんど明らかにされてこなかった。この点を、新しく発掘した企業内部資料、業界団体資料などを利用しつつ、詳細に検討することができたことは、大きな学術的意義といえるだろう。 また、本研究の考察より、同じ企業内でも、所在する地方が異なれば、経営状態も大きく変化することを指摘したが、企業レベルの分析積み上げと同時に、地域レベルの比較研究も重要であることを浮き彫りしにしたことも、成果の一つといえるだろう。