20世紀末のフランス哲学において、神概念はなおも重要な位置を占めており、これはとくに「現れないものの現象学」と呼ばれる思想家たち、J-L・マリオン、E・レヴィナス、J・デリダらに顕著であるが、彼らの神の言説の形式には否定神学との類似性が認められる。
まず、これらの点がもっとも顕著な思想であるマリオンの宗教哲学の研究結果を、学術誌『哲學研究』に論文として公表した。
また神や差異や異他性といったものの人間の概念的思考に対する絶対的超出を主張することの発端には、現象学における「現れないもの」への注目が絡んでいる。これには、レヴィナスの現象学受容と批判が参考になるため、彼の初期の現象学研究における現象学への評価受容点と限界指摘点とを明らかにし、論文として学会誌『現象学年報』に公表した。
他方で、まだ公表するには至らなかったが、三者の微妙な相違も、「否定神学的」ということをめぐって明らかになるように思われる。マリオンでは神の不在という否定性は、神の慈愛から人間に与えられた自由であり人間の自己判断の奨励として意味付けられている。レヴィナスでも神の不在という否定性は、倫理的責任の喚起という人間同志の連帯性ということへとつなげて意味付けられている。デリダでは直接に神について語られることは少なく、脱構築による基準不在という否定性をいかに意味付けるかという問題になるが、既成の正しさ(droit適法性)には汲み尽くされない理念的な正しさ(justice正義)を希求させるべく、基準の果てなき再検討可能性流動性として一時的な基準不在という否定性を意味付けられている。三者のうちでもっとも否定「神学的」なマリオンと「否定」神学的なデリダとの間に論争があったのもこれゆえのものと考えられる。(デリダの論文「Comment ne pas parler」(1986)マリオンの論文「Au nom ou comment le taire」(1997))。この件でデリダの思想に関連して、不足する資料があり研究の進捗に支障をきたしていたため、海外旅費を用いて、フランスにて資料の入手を行なった。