北魏時代の平城と雲岡の歴史考古学的研究
研究課題情報
- 体系的番号
- JP17320122 (JGN)
- 助成事業
- 科学研究費助成事業
- 資金配分機関情報
- 日本学術振興会(JSPS)
科研費情報
- 研究課題/領域番号
- 17320122
- 研究種目
- 基盤研究(B)
- 配分区分
-
- 補助金
- 審査区分/研究分野
-
- 人文社会系 > 人文学 > 史学 > 考古学
- 研究機関
-
- 京都大学
- 研究期間 (年度)
- 2005 〜 2007
- 研究課題ステータス
- 完了
- 配分額*注記
- 14,690,000 円 (直接経費: 13,700,000 円 間接経費: 990,000 円)
研究概要
中国山西省大同市に所在する平城遺跡は398年から494年までの北魏の都城址で、その北郊にある方山永固陵は481年から484年にかけて造営された文明太后の陵墓とそれに付属する永固堂や思遠仏寺である。まず、1938年から1944年にかけて水野清一ら東方文化研究所が当該地域で調査し、未報告であった瓦や土器などの出土品の整理をおこない、岡村秀典編『雲岡石窟』遺物篇(朋友書店、2006年)を公刊した。そこでは「傳祚無窮」同笵瓦当などの分析をもとに、5世紀の瓦を4段階に細分し、遺跡の年代や平城における国家的な造営事業の推移を明らかにした。その成果をふまえ、東亞考古学会が1939年に調査し、未発表のまま東京大学文学部に保管されていた出土遺物の整理をおこない、その報告を岡村秀典・向井佑介編「北魏方山永固陵の研究」『東方学報』京都第80冊(2007年)として発表した。そこでは、造営年代の明確な方山出土文物の様式観をもとに『雲岡石窟』遺物篇で提起した雲岡石窟の編年を検証したこと、『水経注』の記載をもとに方山永固陵の全体の配置を復元したこと、とくに位置をめぐって論争のつづいていた思遠寺について、創建時の「富貴萬歳」同笵瓦の分布や塑像・石彫などの仏教彫塑のひろがりをもとに、それが台上の白仏台遺跡と崖下の草堂山遺跡の両方にまたがっていることを明らかにしたこと、方山出土文物の美術様式は西域からの強い影響を受けて成立したこと、陵墓に寺院を付属させることは方山永固陵にはじまり、高句麗などにも影響をおよぼしたこと、を明らかにした。さらに、方山思遠寺と同時期の内蒙古自治区包頭市懐朔鎮遺跡の塑像や481年に孝文帝が造営した河北省定州仏塔の舎利文物を調査し、北魏平城期の仏教文化のひろがりを検討した。また、人文研に保管する当時の貴重な写真のうち、ガラス乾板のフィルムについて約5000枚をデジタル化した。