七代目市川団十郎をめぐる観客と贔屓の実態に関する調査・研究
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- 木村 涼
- 研究代表者
- 早稲田大学
研究課題情報
- 体系的番号
- JP21820051 (JGN)
- 助成事業
- 科学研究費助成事業
- 資金配分機関情報
- 日本学術振興会(JSPS)
科研費情報
- 研究課題/領域番号
- 21820051
- 研究種目
- 研究活動スタート支援
- 配分区分
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- 補助金
- 審査区分/研究分野
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- 人文社会系 > 人文学 > 文学 > 日本文学
- 研究機関
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- 早稲田大学
- 研究期間 (年度)
- 2009 〜 2010
- 研究課題ステータス
- 完了
- 配分額*注記
- 2,080,000 円 (直接経費: 1,600,000 円 間接経費: 480,000 円)
研究概要
申請者は、本研究において、近世後期の代表的な江戸歌舞伎役者七代目市川団十郎<寛政3年(1791)4月~安政6年(1859)3月>を取り巻く観客・贔屓の実態の解明に努めた。まず、七代目の代表的贔屓連「三升連」の存在形態を示す狂歌集の内『團十郎七世嫡孫』、『江戸紫贔屓鉢巻』の内容の検討、宿屋飯盛率いる狂歌集団「五側」が市川家と由縁の深い成田山に寄進した狂歌の扁額など、七代目の支援形態を中心に分析を進めた。七代目の贔屓は、江戸に限らず、北は会津若松から南は長崎に至るまで確認され、職業は様々である。狂歌連では武士も町人も役者も藩主でさえもペンネームを用いることで狂歌師に変身を遂げる。そうすることによって、江戸幕府の身分制支配秩序を超越し、七代目を支援するという同一目的を持った新たな社会の成立がみてとれ、七代目の支援基盤の構造が明確になった。