A Study of Roderick Hudson: On What Caused the Hero's Death

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type:論文

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本稿では、ヘンリー・ジェイムズの長編第一作目とされているRoderick Hudsonを題材にして、主人公の「死」に至る要因について検証することにした。この作品は、1876年に作品として発表されたが、連載は1875年1月に開始された。当時の作者は、職業作家として地歩を固めることを主眼としていた。この作品も、彼と知己にしていたウイリアム・デイーン・ハウエルズの口利きで、Atlantic Monthlyに連載することができたのであった。この作品が後に改訂された際に寄せた序文の中で、作者は稿を起こしたのはフィレンツェであったと述べているが、当時の作者の生活の舞台はローマからフィレンツェに移ってきていた。それは、1873年から1874年にかけてのことである。私は、まず、「序論」としてこの作者の作品を生み出す“場”についての検証から始めた。彼の生まれた土地、アメリカ(マサチューセッツ州、ケンブリッジ)には父母がいたのだが、彼は、生活の場として、仕事の場として、イタリアを選んだ。それは、幾ばくかではあるが、作品の主人公がアメリカからローマに移り、芸術活動に専念しようとする様と符合する。ジェイムズは、この作品の中で、自殺という形で主人公の最後を描く。「第1章」では、まず、死に至る要因として、クリステイナという女性との関わりから生じた主人公の“変化”について述べることになった。次に、「第2章」では、主人公に多大な影響を与えたその女性、クリステイナの“性格”に焦点を当てて論を展開していった。そして、「第3章」において、もう一度、主人公の側から、主人公の“死”を考えてみることにした。主として、それは、自殺直前の主人公の感情の推移を辿る作業となった。最後に、「結論」としては、主人公の“死”を否定的に捉えるのではなく、肯定的に捉える形で締め括った。主人公は、ローランドといういわゆる「パトロン」に連れられてヨーロッパに渡るが、それは、芸術家としての主人公には必要なことであったのではないか。すでに明らかにしてきたように、ローマで、主人公は「苦難」を味わうことになる。しかし、それは、負の側面のみではなく、正の側面もあった。アメリカでは、開花しなかったであろう芸術上の「達成」を明らかに果たしたからである。一方で、この作品の中には、芸術家の危うさが描き込まれている。主人公のように、芸術家はいつ己の才能の枯渇に直面するか分からない。それは、作者とて同じであろう。ジェイムズは、この作品で、自己の危うさをも確認したのかもしれない。

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