ガウディ研究、サグラダ・ファミリア聖堂計画案の変遷(3)平面計画の変遷

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Other Title
  • ガウディ研究、サグラダ・ファミリア聖堂計画案の変遷Ⅲ -平面計画の変遷-
  • Gaudí, sus proyectos del Templo de la Sagrada Familia III -Plantas del Templo-
  • ガウディ ケンキュウ 、 サグラダ ・ ファミリア セイドウ ケイカクアン ノ ヘンセン(3)ヘイメン ケイカク ノ ヘンセン

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Description

ガウディの未完の聖堂として知られるサグラダ・ファミリア。その聖堂の「計画案をガウディは残さなかった」と言われ、それを鵜呑みにして疑わない人がいかに多いことか。しかし、建築は建築家一人の作品ではなく、オーナーから職人に至るまで実に多くの人々の協力を必要とする。つまり、多人数が同時に働く建設では計画なくして工事は不可能であり、計画案は常に存在すると考えなければならない。最初の建立提案時には、オーナーに相当する創設者ブカベーリャのロレート計画案があり、建設地獲得後の初代建築家ビリャールはバルセロナ大聖堂を基礎としたプランで着工し、敷地条件に合わせたネオ・ゴシック案への変更を模索する。2代目建築家ガウディは、前任者の建設を白紙に戻すことは不可能であり、既存の計画に従わざるを得ない。ただし、西欧の大聖堂の建設ではローマのサン・ピエトロやジローナ大聖堂などの例に見られるように初期計画案は頻繁に変更されてきたし、それが可能な建設方式でもあった。ガウディ最初の変更案は着任1年5か月後(1885)のことであり、バルセロナ大聖堂を範にしながらも、自らの聖堂理念を反映させるものであった。1890年代初め巨額の献金を受け「降誕の正面」の建設が可能になった。これは翼廊の幅を倍増するもので、計画案の変更を意味し、ギリシャ十字の集中式プランになった。そして1902年、市当局との合意に基づき前面隣接地へ聖堂を拡張し、マリョルカ大聖堂の規模に相当するラテン十字の5廊式バシリカ案に変更する。その後、背面隣接地への拡張も模索され、1910年のパリでのガウディ展ではその拡張プランが展示されるものの、市との合意に至ることなく、現在知られる最終案に落ち着く。以上、聖堂の計画案は常に存在し、大きな変更が繰り返され今日の最終案になったことを明確にする。

Journal

  • 麒麟

    麒麟 22 (41)42-(65)18, 2013-03-31

    十七世紀文学研究会

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