ワーズワスが「未刊行の旅行案内」で目指したもの

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  • What Wordsworth Aimed at in His ”Unpublished Tour”
  • ワーズワス ガ ミカンコウ ノ リョコウ アンナイ デ メザシタ モノ

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抄録

論文(Article)

ワーズワス(William Wordsworth, 1770-1850) の『湖水案内』の出版に至るまでの経緯には複雑なところがある。通常我々が彼の『湖水案内』と呼んでいるのは、1835年に刊行されたA Guide through the District of the Lakes in the North of Englandである。だがそれ以前に彼は、『湖水案内』と内容的に相当重なるものを以下のように4回出版している。ウィルキンソン師(Joseph Wilkinson, 1764-1831)は1810年に48枚の版画を『選り抜きの光景』 (Select Views of Cumberland, Westmoreland and Lancashire) という題名で出版したが、『湖水案内』の初版は、この版画集に付随する文章として出版された。次にワーズワスは1820年に、1810年の文をウィルキンソンの版画から分離し、自身の『ダドン川ソネット連作、など』(The River Duddon, a Series of Sonnets: Vaudracour and Julia: and Other Poems) に「湖水地方の地誌的叙述」(”Topographical Description of the Country of the Lakes in the North of England”)という題名を付けて出版した。これが第2版である。さらに彼は1822年とその翌年に、湖水地方に関する文章を独立させ、『湖水地方の風景の叙述』(A Description of the Scene of the Lakes in the North of England)という書名で刊行している。これらが第3版と4版になるわけである。『湖水案内』のこれら五つの版にはそれぞれ特徴があり、湖水地方を大衆に紹介するにあたってのワーズワスの姿勢が一様ではなかったことが窺われる。『湖水案内』に関係する原稿のなかにも、彼のこうした心の動きを探る上で重要なものが存在している。その原稿は初版と第2版の間に書かれたと想定され、オックスフォード大学出版局版『ワーズワス散文集』の編纂者により「未刊行の旅行案内」(”Unpublished Tour”以下「未刊の案内」と略記)と名付けられている。だが私の知る限り、この「未刊の案内」をワーズワスの『湖水案内』の創作意圏との関連で取り上げる研究は、これまでなされていない。以上のような状況を踏まえて本論は、「未刊の案内」を『湖水案内』の他の版や、18世紀後半から19世紀にかけて出版された旅行案内書などと比較し、ワーズワスがこの案内で目指したことを明らかにしながら、彼がその出版を思いとどまった理由について考察する。

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