十二世紀後半の十分の一税問題

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タイトル別名
  • 12セイキ コウハン ノ 10ブンノ1 ゼイ モンダイ
  • La question de la dime dans la seconde moitie du XIIe siecle
  • ジュウニセイキ コウハン ノ ジュウブン ノ イチ ゼイ モンダイ

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論文(Article)

シトー会、騎士修道会、そしてプレモントレ会などの新修道会、新修道参事会は、早くも十二世紀三十年代には「他の人々の十分の一税」《decimae aliorum hominum》を受納し、「みずからの手と費用によって」《propriis manibus aut sumptibus》耕作した農地の十分の一税を免除された。新修道会に併合された村落の十分の一税を奪われたために、司教座教会や旧修道会は大きなダメージを被った。司教、修道院長からの苦情が相次いで教皇庁によせられ、新旧修道院間の争いが各地で発生した。ジニーとル・ミロワールの長期にわたる抗争は、まさにその象徴的な事件であったといってよい。かくてインノケンティウス二世以来新教団に与えられてきた特権を見直し、司教権や旧修道制の権利を保護する動きがでてきた。これを教皇政策として一貫して追求したのはハドリアヌス四世である。そのご幾多の政策変更があったが、ハドリアヌス四世の十分の一税政策は第四ラテラノ公会議で最終的に承認された。本稿では、教皇政策を中心に、十二世紀後半における十分の一税問題を検討することにしたい。

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