古代出羽国の形成と諸段階 : 交流・交通の視点から

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  • The Formation and Transition of the Ancient Dewa-no-kuni : From the Viewpoint of Trade and Communication
  • コダイ デワノクニ ノ ケイセイ ト ショダンカイ コウリュウ コウツウ ノ シテン カラ

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論文(Article)

はじめに 山形県が史上に登場するのは、持統三年(六八九)に、陸奥国優[た]曇(評)の城養(きこう)の蝦夷の出家を許した、という『日本書紀』の記事である。優[た]曇とは「うきたむ」であり、現在の置賜地域である。この時すでにこの地域に仏教が普及していたことも興味深いが、置賜地域が陸奥国に属していた点に注意したい。その後、和銅元年(七〇九)に越後国に出羽郡ができる。これが現在の庄内地方である。この頃、城柵である出羽柵が設置されたものと思われる。さらに和銅五年(七一二)、出羽郡が出羽国として分立する。このとき同時に陸奥国最上・置賜の二郡を出羽国に移管することになる(同様の記事は七一六年の記事にもみえる)。かくして、日本海側の庄内地方と、内陸地域が合併し、出羽国が成立するのである。その後、八八六年には最上郡が二郡に分割され、南部が最上郡、北部が村山郡となる(現在のように内陸北部が最上郡、南部が村山郡となるのは近世以降である)。以上のようにみていくと、山形の地域社会は奈良時代から平安時代にかけて複雑な変遷をたどっていることがわかる。ではその歴史的背景や影響はどのようなものであったのか。本稿では古代出羽国の形成とその歴史的変遷を、交流・交通の視点から考えてみることにしたい。

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