『儀礼』と漢代の政治 : 冠礼を中心にして(前漢の場合)

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『儀礼』とは中国古代の冠、婿、喪、祭、郷、射、朝、聘などの諸典礼における器物や儀節制度などを記した「礼書」である。本論は儒家の経典としての『儀礼』と漢代の政治との関係を研究課題とし、とりわけ冠礼を中心にしてその問題を分析・考察してみたい。「礼は中国の精神の精髄であり、中国の文化はこの礼を中心として発達してきたもの」であるとよく言われている1が、中国の礼制度は長い期間にわたって形成されたもので、とりわけ、漢代に入ると、礼制度の成立の最も重要な時期を迎えていた。『儀礼』はこの時期に、官学の経典として尊ばれ、「士冠礼」は『儀礼』首篇の位置を占めているため、「冠礼は礼儀の始めである」(『礼記』冠義篇)とも言われている。ある意味で、『儀礼』は中国の礼文化と礼制度を解く鍵の一つであると考えているので、それを本論の研究テーマとして取り上げている。周知のように、秦の際、「焚書坑儒」があり、「礼書」もその難を逃れなかった。『史記』儒林列伝には「礼は……秦に至り書を焼くに及んで、書の散亡するもの益多く、今に於いて唯士礼有るのみ、高堂生能く之を説く」と言ったように、漢代に入ってから、「礼書」の多くは既に焼失してしまい、残存する部分が読解できる人は高堂生(前浜初期)のような専門家のみである。『漢書』芸文志によれば、高堂生は後学に「士礼十七篇」を伝えていた2が、その伝授によって「礼書」は漢代の通用文字である「今文字」に書き換えられたという3。その後、「今文字」の「礼書」はよく受け継がれており、前漢の武帝(前141-前87)時期から、官学の規範教科書即ち経書の中に入れられるため、後漢前期になると、既に経学の経典として不動な地位を占めるようになった。このような経緯を考えてみると、後世に伝わってきた『儀礼』という書物を古礼のテキストとして看倣すより、寧ろそれは漢代の礼制度の再建に伴って儒家経典として再構成されたものだと言ったほうが妥当だと思われる。勿論、漢代の礼制度の再建は、単なる礼学及び儒教思想の流れの中に行われたものではなく、漢代の政治制度の成立及び政治権力の闘争と絡み合っている。しかし、従来の多くの『儀礼』研究は経学及び儒教思想の研究枠内に留まりがちであり、とりわけ、宮廷礼儀を担っている「漢儀」学者に対して、殆ど軽視し無視する態度を取っているので、結局、経学経典としての『儀礼』と漢代政治との係わりを探る際、不可欠な手掛かりを見失ってしまったようである。以上の研究状況を踏まえて、本研究は経学の経典としての『儀礼』とりわけ「士冠礼」を研究の対象としているが、単なる経学の思想研究に拘らず、漢代の政治史、制度史をも視野に入れようとしている。先ず、いままで無視されてきた「漢儀」学者の流れを辿り、漢代の礼制度の形成していくなかに制定された王朝儀礼を考察する上で、それを背景にして、前漢そして後漢の経学における冠礼の解釈を探ってみる。とりわけ、漢代の王朝儀礼と士礼における「冠礼」の特徴を分析の重点に置き、前漢期における「漢儀」系統の礼学者と経学系統の礼学者との異なる役割、後漢期における両系統の交錯と相互影響を分析してみる。これらの作業を通して、漢代における『儀礼』と政治との関係を解明したい。今回は、まず、前漢の場合を検討する。

収録刊行物

  • 岩大語文

    岩大語文 14 92-100, 2009-01-01

    岩手大学語文学会

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