日本僧笑雲の入明記を通じてみた東アジアの疎通と交流
説明
本論は遣明使節の一人として明代の中国に渡った五山派の僧侶笑雲の手になる入明記を主要な題材として,東アジアにおける疎通と交流の一端をいささか検討した,その結果報告である。『笑雲入明記』の撰者笑雲瑞訢は,臨済宗五山派の僧で,晩年は相国寺や南禅寺の住持を歴任した。笑雲が入明したのは,景泰4 年(享徳2 ・1453)のことで,東洋允澎を正使とする遣明使節団の1 号船に従僧として乗船し,翌年に帰朝した。このとき往還した京都-北京間での見聞を記した旅行記が,この『笑雲入明記』であるが,これは, 1 号天竜寺船に乗り込み,旅の様子や明側との対応の様子を記録した,帰朝後の復命報告書でもあった。『笑雲入明記』は,明側との交渉記録と笑雲自身の私的な交流記録のいずれにも偏奇していない良さをもっていて,笑雲自身,従僧として書記官的な役割を担ったこともきわめて剴切なことであったと評価できる。しかしながら,使節団という組織体と笑雲個人との狭間で,揺れ動き,黙して語らなかった事実もまた数多あった。たとえば,遣明使節が起こした諸々の事件や騒擾については全くふれていない。復命書としての性格を有したが故に記録にできなかったことも多々ある。ここに『笑雲入明記』の記録としての限界があった。
収録刊行物
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- 人文研紀要
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人文研紀要 77 19-44, 2013-10-10
中央大学人文科学研究所
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1050001202697813376
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- ISSN
- 02873877
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- 本文言語コード
- ja
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- 資料種別
- departmental bulletin paper
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- データソース種別
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- IRDB