〈私〉の消去の後に8 : 性起としての世界と人間

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  • 〈 ワタクシ 〉 ノ ショウキョ ノ アト ニ(8)セイキ ト シテ ノ セカイ ト ニンゲン

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抄録

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本稿の目的は、知覚・認識・思考・行為・言語活動の主体としての〈私〉といったものを想定せずに、人間の経験を体系的に説明する理論を構築することである。その理論は、性起に関する理論という形で構築されることになる。そして、我々の性起に関する理論は、物質概念の更新を要請する(なぜなのかは、本章の1)(26号)で述べた)。その要請は、「死-物から生-物へ」というスローガンによって表現される。ここで言う死-物とは、近代自然科学の形成とともにもたらされた物質概念であり、生-物とは、死-物に対置して呈示されてきた様々な物質理解を総合することによって、我々が措定した物質概念である。我々の性起に関する理論は、物質は死-物ではなく生-物であると主張する。そして、生-物としての物質は、以下のような性質を持つ。i)それが「ある」という事態が、極微の次元における生成論的な生成と消滅によってもたらされている、ii)新たに生成したり消滅したりする、iii)能動性を持つ、iv)それ自体で知覚的に現前する、v)有意・有色・有情である、vi)その総体が不可分の単一体をなす。26、27、28号では、こうした生-物概念を明確にする作業の一環として、生-物概念の源泉となった量子力学、場の量子論、自己組織化論、内部観測論、大森荘蔵の知覚的立ち現われ論の物質理解がどのようなものであるのかを論じた。引き続き本号では、物質は〈個的存在〉に近いものであるという近代自然科学の物質理解を切り崩し、「物質の総体は不可分の単一体をなす」という認識をもたらす諸理論の物質理解を順に整理していくことにしたい。

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