A Study on a Buddhist Idea of Food Consumption (The 6th Consortium on Global perspectives in Japanese Studies : International Workshop "Consumption and Consumerism in Japanese Culture")

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  • 仏教における「消費」-「食」の観点から(第6回国際日本学コンソーシアム : International Workshop "Consumption and Consumerism in Japanese Culture")

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抄録

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紀要論文

本稿においては、インドの初期仏教と日本の禅仏教における食の消費の考え方を検討する。\\r\\\ インドの初期仏教としては、釈迦の事績を紹介する。仏教の開祖である釈迦は、当時インドの宗教界で一般的であった断食などの苦行を捨てて、供養された乳粥を食べて開悟成道したと伝えられている。この挿話は、仏教の食に対する基本姿勢、つまり、「修行をする心身を維持するために、最低限の食物を摂取する」を示す。食への執着は煩悩であり、修行の妨げとして斥けられるが、最低限の食の摂取は認められる。また、出家修行者(僧、比丘)は、すべての世俗的活動を絶ち、修行と布教に専念するべきであるとされ、食物を生産したり、調理したりすることは許されず、生命を維持するためのすべての食物は、在家信者によって供養された。俗世の信者は出家者に供養することで功徳を積むことができた。中国の禅宗寺院では自給自足の生活が行われるようになり、また、瞑想だけではなくて日常のあらゆる行為が修行であるという考えが発達し、食物生産や調理も修行であるとされるようになった。日本曹洞宗の開祖である道元もこのような考えを受け継ぐ。本稿では禅宗寺院の台所仕事について書かれた『典座教訓』と、食事の仕方について書かれた『赴粥飯法』の二つをてがかりとして道元の食の消費に対する考え方を明らかにする。

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