Kunio Yanagida and Agricultural Administration : Industrial Cooperative and Hotoku Association

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  • 柳田国男の農政学の展開 : 産業組合と報徳社をめぐって
  • ヤナギダ クニオ ノ ノウセイガク ノ テンカイ サンギョウ クミアイ ト ホウトクシャ オ メグッテ

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柳田国男(1875-1962、以下は柳田)は、わが国の民俗学の樹立者である。民俗学は柳田が生涯をかけて構築した学問であるが、柳田が開拓した学問の世界は民俗学にとどまらない。近代文学、農政学、歴史学、社会学、口承文芸論、国語学など、広い学問分野にわたっている。このように多方面の学問分野の基礎となったのは、歴史や経済史学への関心であった。そして、歴史や経済史学への関心のきっかけを与えたのは、周知のように、幼少年期の体験であった。  幼少年期の体験が、柳田のその後の農政学や民俗学への学問的な展開の出発点であった。この体験をきっかけにしているということは、柳田の研究方法がなんらかの抽象原理からの演繹ではなく、感覚と結びついた体験的事実の集成から帰納していくという方法であることを示唆している。柳田の学問スタイルは、帰納的な方法に終始している。柳田の農政学は机上で資料を分析して組み立てようとしたものではない。全国各地をまわって、農村の実態を観察し、自らの農政学の体系を構築しようとしている。柳田は体験的事実の集成によって農政学の構築を図っている。民俗学も同様の方法をとっているので、この点で農政学から民俗学へという展開は、不連続な挫折ではなく、連続性を保っていたといえる。  柳田の農政学は産業組合論を中心に形成された。産業組合の普及啓蒙活動から柳田農政学は始まっているが、民俗学へと関心を移した後も、問題意識においては産業組合論を継承していた。その柳田が農政学から民俗学へと展開した時期に、柳田は報徳社に出会っている。柳田は報徳社に日本の産業組合の原型とでもいうべきものを見出し、その産業組合化を訴える。しかしながら、報徳社を代表する岡田良一郎(18391915)の反論を受け、組合形成の基礎は協同と自助の精神であることを確信している。  柳田は民俗学においても、農村や常民を対象にして、協同と自助の精神の発揮をとらえていこうとする。この精神という点においても、農政学と民俗学は連続性をもっていた。柳田は帰納的な方法を駆使し、史料の欠落による不明瞭な部分は、比較研究によって補いながら、民俗学を構築していった。こういった柳田の学問体系は、後に産業組合論として東畑精一(1899-1983)によって継承される。

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