Franz Wickhoff a la fin du siecle

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抄録

AA11529669

近代の美術史学は1764年、ヨーゼフ・ヴィンケルマンの『古代芸術史』をもって始まるとされるが、彼の学は、古代ギリシャ古典期の芸術にこそ芸術の本質がもっともよく実現されているとするもので、ギリシャ美術に続く古代ローマ美術は、ギリシャ芸術の退廃、あるいは付録と見られがちであった。ヴィーンの学者フランツ・ヴィクホフは、1895年、ヴィーン国立図書館蔵の旧約聖書写本のファクシミルを刊行するにあたって、その写本挿絵に古代ローマ美術の固有性が色濃く残されていると考え、序文の中でこれを詳説した。これが近代におけるローマ美術史の始まりである。それは、まもなく様式史の名で呼ばれるようになった近代美術史学の方法を樹立するとともに、古典期ギリシャ美術になかった新たな芸術性の誕生と発展を論じることとなった。彼は古代ローマ美術の発明として、イリュージョニズム、および風景を背景として切れ目なく連続して展開する物語表現形式を挙げ、西暦第一世紀末にその達成を見た。ところでヴィクホフのローマ美術史論の発表は、いわゆる「世紀末」に当たっている。この頃ヨーロッパの文化は、一方ではジャポニスムの大流行があり、他方ではクロード・モネを中心とする印象派芸術が最高潮に達した時代であった。この二つが密接に関連していることはよく知られているが、このような事情はヴィクホフのローマ美術史論形成にも濃い影を落としている。彼はその著の中で、印象派絵画を古代絵画と積極的に比較するとともに、彼のいうイリュージョニズムは、西洋にはるかに先駆け東洋美術において実現されており、とりわけ日本美術にその極致を見ると主張した。本論は、もともとシドニーで開かれた展覧会「日本の四季」に合わせ、2003年8月メルボルン大学の求めに応じ行った一般公開講演に、多少を加え訂正したものである。したがって、上記の問題に対し新たな知見を提供するよりは、むしろあらためて世紀末ヴィーンにおいて近代美術史学を確立した学者の思考をたどり、その錯綜した視点を解きほぐしてみることを目指した。今や百年以前のものとなったヴィクホフのローマ美術史論は、今日の学的基準からは到底そのまま受け入れることはできないが、本論は最近の視点からの批判に触れつつも、むしろ彼の論が、今昔、洋の東西を越えた、視覚芸術における時間性の問題に対する深い洞察を蔵していたことを重視し、その視点から東西両洋の芸術、とくにパンクテュエイションを伴わない連続した時間表現の諸例を観察する。

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