暴力の正当化と権力の正統性-『アブサロム、アブサロム!』と「ウォッシュ」における階級闘争の表象

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  • ボウリョク ノ セイトウカ ト ケンリョク ノ セイトウセイ アブサロム アブサロム ト ウォッシュ ニ オケル カイキュウ トウソウ ノ ヒョウショウ

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抄録

本論はウィリアム・フォークナーの長編『アブサロム、アブサロム!』と短編「ウォッシュ」を階級闘争の切り口から読み比べる試みである。従来、この両作品を同じ俎上に載せる際、陥ってしまう批評上のジレンマがある。それは『アブサロム、アブサロム!』の文学的完成度の高さと深く関わっている。つまり、「ウォッシュ」を『アブサロム、アブサロム!』の胚種の一つにすぎないという見方をすると、前者の独立性が脅かされてしまうし、かといって、その独立性を強調しすぎると、今度は逆に後者との関係性が見えにくくなってしまうことである。本論はこうしたジレンマを意識しつつ、両作品の密接な関係性の中に前者の独立性を見出す可能性を模索する。具体的な作業としては、ウォッシュとサトペンの人物像に光を当て、フォークナーがプア・ホワイトの闘争を如何に描写しているかを分析することで、「ウォッシュ」が『アブサロム』と相互補完的な関係に位置づけられるべき物語であることを指摘したい。

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