小山評定は歴史的事実なのか(その2):拙論に対する本多隆成氏の御批判に接して

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タイトル別名
  • コヤマ ヒョウテイ ワ レキシテキ ジジツ ナ ノ カ(ソノ 2)セツロン ニ タイスル ホンダリュウセイシ ノ ゴ ヒハン ニ セッシテ
  • Is the Verdict in Oyama(下野国小山)a Historical Fact ?:Part2

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抄録

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〈5.慶長5年6月以降の下野国内の状況について~6.7月29日付大関資増宛浅野幸長書状について〉 ※拙稿「小山評定は歴史的事実なのか(その1)-拙論に対する本多隆成氏の御批判に接して-」(『別府大学紀要』55号、別府大学会、2014年)より続く。 関ヶ原の戦い 福島正則 清須城 稲葉通孝書状 浅野幸長書状

筆者は2012年3月に拙稿「フィクションとしての小山評定-家康神話創出の一事例-」(『別府大学大学院紀要』14号)を発表して、従来、“小山評定”は、慶長5年7月25日、徳川家康が上杉討伐のために東下した諸将を小山(下野国、現栃木県小山市)に招集して、上杉討伐の中止と諸将の西上を決定した軍議として通説化して扱われてきた点を批判し、一次史料の詳細な内容検討によりこれまで通説で肯定されてきた“小山評定”が歴史的事実ではなく、フィクションであることを論証した。 この前掲拙稿の内容に対して、本多隆成氏は同年10月に同氏の論文「小山評定の再検討」(『織豊期研究』14号)を発表し、詳細な御批判を加えられた。 よって、本稿では、本多氏によって前掲拙稿に加えられた批判点を検討して反論するとともに、前掲拙稿で検討できなかった諸点についても本稿では論及して考察した。

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