Search this article
Abstract
40005591684
要旨 現代における問題は自由の様拠をどこに求めたらよいのかが分らずに全く自分勝手な快楽欲望を依り処にして, それが当然と考える自己中心的風潮が潮漫している。しかし, その根抵を見れば, 白己の存在の根抵が無に渉透されていることから自己を中心とすることへと目を転じなければ, 自己の存在根抵そのものが危機に直面せざるを得ないことになるという恐れからの逃避がある。これか盲己中心的な有り方に向う, 目に見えない原因である。だからといって, この傾向を否定的に見ているだけではいけない。この存在の根抵の虚無を積極的に引き受け, これを自己の根抵そのものと自覚したとき, 真の自己を実現できる。それは, 白己存在の中心に巣食う無そのものを自覚的に自己の根抵とすることであり, このことにより個人的自己を脱中心化することによって, 自己から出て自己ヘと戻る大回りの運動そのものを自己とすることができる。この根源的運動が小回りの自己中心から脱し, 大回りの自己ヘと展開しつづける運動体が白己であると白覚するのが本来の自己であること, また真の意味で自由であることを西谷啓治の「空の立場」を手がかりに明らかにした。
Journal
-
- Mathesis universalis : Bulletin of the Department of Language and Culture
-
Mathesis universalis : Bulletin of the Department of Language and Culture 3 (2), 19-38, 2002-03
獨協大学外国語学部言語文化学科
- Tweet
Details 詳細情報について
-
- CRID
- 1050001338851104128
-
- NII Article ID
- 120005952878
-
- NII Book ID
- AA11419434
-
- ISSN
- 13452770
-
- NDL BIB ID
- 6244094
-
- Text Lang
- de
-
- Article Type
- departmental bulletin paper
-
- Data Source
-
- IRDB
- NDL
- CiNii Articles