記憶のかたち : 本多政均暗殺事件と仇討ち

書誌事項

タイトル別名
  • キオク ノ カ タチ : ホンダセイ ヒトシ アンサツ ジケン ト アダウチ
  • The forming of memory : The assassination of HONDA Masachika and the vengeance following it
  • キオク ノ カタチ : ホンダ マサチカ アンサツ ジケン ト アダウチ

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抄録

明治二年(一八六九)八月、金沢城二ノ丸殿中において前田家八家の本多政均が暗殺されるという事件が起こる。その三年後、本多家家中は仇討ちを果たす。この事件は、「明治忠臣蔵」と評価されるにいたるのだが、なぜ本多政均暗殺事件と仇討ちが「忠臣蔵」と冠されるのだろうか。その所以はなにか。本稿は、「明治忠臣蔵」とイメージづけられた歴史像を「歴史的記憶」と位置づけ、その形成過程をあきらかにするものである。本多政均暗殺事件と仇討ちは、数年後には実録物に仕立てられ、明治四二年(一九〇九)九月の従四位への追贈を契機に碑石・銅像の建設運動へと展開し、その後小説へと流れ込む。その過程において、この一件は赤穂事件と重ね合わせられ、義士の物語として人びとに記憶されていくのである。

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