教育の機会均等原則の再検討

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タイトル別名
  • キョウイク ノ キカイ キントウ ゲンソク ノ サイケントウ
  • A Reconsideration of the Principle of Equal Educational Opportunity

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抄録

1.これまで検討してきた1970年代の機会均等論争によって,Schaarの議論の妥当性が決定的に損われたとはいえないであろう。これらの討論が批判の対象としたのは,"機会均等原則は保守主義的なものであり,アメリカ社会の既存の制度・価値・目的を防備するのにこれほど巧みにつくりあげられた制度はない"というSchaarの主張であったが,すでに検討したように,この主張はSchaarの議論の全体を適切に代表するものであったわけではない。Schaarの批判者は,あたかもSchaarが機会均等原則を拒否しているかのように論じ,これに対して機会均等原則を擁護したのであるが,その内容は,ほぼSchaarが機会均等原則の必要性として論じたものと同一のものであった。いわば,Schaarの批判者はSchaarの議論のレトリックの罠にかかっていたということもできよう。しかし,それ自体としては妥当性を否定しえないかにみえるSchaarの議論が繰り返し批判の対象とされた原因は,それだけのことではなかった。1970年代のSchaarをめぐる論争の真相は,教育の機会均等原則の概念構成が圧倒的な社会政策の新たな動向に伴って変化しつつあり,Schaarの議論の妥当性も改めて,この新しい概念構成から再評価されるべきものとみなされたところにあったといえよう。機会均等原則の類型化という方法意識の成立にそれは端的にあらわれていた。他方,Coombsの議論は機会均等原則の類型化という方向に向うのではなく,この原則を「発展した正義の概念には,いかなるものであれ一要素として含まれる」ものと主張する点で,Schaarと同一の方法的立場に立つものであったが,それが示唆する社会の基本的構成原理の構造化は,すでにSchaarの議論の水準をこえたものであった。それは1960年代以降の社会政策の原理の転換を最も体系的に理論化したとされるRawls(1971)の正義の二原理の概念を媒介とするものであった。ここでも,Schaarの議論の妥当性は改めて再評価されるべきものとなっていたといえよう。2.堀尾(1963)が依然として高い妥当性をもちつつも,我々にとっては出発点として把握きれるべきだと思われたのとほぼ同一の状況が,Schaar(1967)と1970年代アメリカの教育の機会均等諸諭との間に存在しているようにみえる。これまでの検討から我々は,Schaarの議論はそれ自体,今日からみても高い妥当性をもちつつも,機会均等原則の類型化という方法意識を欠いているという点で,1970年代の教育の機会均等論争に対して距離をおくものであったばかりでなく,機会均等原則の「適用範囲の限定」ないし「文脈的位置づけ」の転換という点からみても,1970年代に展開された社会制度原理をめぐる議論の到達した水準に対して距離をもつものであったと結論づけることができよう。(あらためて,この2つの観点に即して教育の機会均等原則の再検討をおこなうことが,次稿の課題となる。)

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