入口としてのカルムィク草原 : 19 世紀前半のカルムィク人とその信仰に関する知識と記憶

書誌事項

タイトル別名
  • Kalmyk Steppe Leads to Tibet : On Kalmyk Buddhism of the Russian Empire in the First Half of the 19th Century
  • イリグチ ト シテ ノ カルムィク ソウゲン : 19セイキ ゼンハン ノ カルムィクジン ト ソノ シンコウ ニ カンスル チシキ ト キオク

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抄録

本稿では,マダム・ブラヴァツキーが少女時代を過ごしたロシアにおいて, 1830 年代から40 年代にカルムィク人やチベット仏教に関する知識がいかなる 状況にあったかを考察する。18 世紀には外国人学者・探検家が中心となって, カルムィク人とその信仰は観察され描写された。カルムィク人の信仰はモンゴ ルやチベットとの類似性が強調され,カルムィク草原は東方への入口として位 置付けられた。19 世紀になると,ロシア東洋学の進展ととともに,カルムィク 人社会は次第にモンゴルやチベットとは別個に語られるようになった。こうし て,学知としてはモンゴルやチベットとの断絶性が強調された一方で,ロシア 帝国の完全な支配下に入ったカルムィク草原では,ロシア人の役人が直接カル ムィク人と接触するようになる。マダム・ブラヴァツキーの母方の祖父A・M・ ファジェーエフが残した『回顧録』からは,彼とその家族のカルムィク体験は 鮮烈な記憶として家族のあいだで共有されていたことが読み取れる。

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