戦前期日本のデザイン界における第一次世界大戦ポスターの受容と影響

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  • How Were World War I Posters Embraced by the Design Community in Pre-war Japan, and How Did They Inspire Japanese Designers?
  • センゼンキ ニホン ノ デザインカイ ニ オケル ダイイチジ セカイ タイセン ポスター ノ ジュヨウ ト エイキョウ

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抄録

本稿は「大戦ポスター」としばしば称される、第一次世界大戦期に欧米で製作されたポスターが、同時代以降の日本のデザイン界においてどのように受容され、影響を与えたのかについて、具体的に立証することを目的としたものである。 戦前期の日本における大戦ポスターの公開は、1916年10月に神戸高等商業学校(現、神戸大学)において開催された「広告絵札展覧会」を嚆矢の例として、1945年8月までの間に20種を数える。一方、図版としての紹介は、同年4月に発行された『日本印刷界』第78号を初出とし、以降の記事には作品図版を伴うことが多かった。ただし、大戦ポスターが全国的に知られる存在となった最大の原因は、1921年に朝日新聞社が地方版発行地域で行った「世界大戦ポスター展」の巡回と、その記念図録的な『大戦ポスター集』の刊行にあり、この二つは日本における大戦ポスターの翻案化にも多大な影響を与えた。 現在確認されている、大戦ポスターを翻案とした最も古い作例は、ジェームス・モンゴメリー・フラッグによる1917年の《アメリカ募兵ポスター》を下敷きにした、1919年6月28日の『大阪朝日新聞 神戸附録』に掲載された《岡部印刷事務所の新聞広告》である。もっとも、大戦ポスターの翻案化が増えるのは、先に挙げた『大戦ポスター集』の刊行以降である。また、引き写される媒体としては、ポスターよりも製作機会の多い、新聞広告や絵葉書が選ばれる傾向にあり、識者の評価は低かったものの、アメリカのポスターの方が、欧州の作品よりも翻案化されることが多かった。 いずれにしても、1910年代半ば以降の日本における大戦ポスターは、作品を見る機会が国内で広く担保されたことに加え、それが当時の日本人にとっても関心の高い、世界的な出来事に際して製作されたものであった事実と、デザイン的な新鮮さが相まって、新たなグラフィック作品を創造する際に積極的に翻案化された。

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