『日本後紀』にみる平安時代初期の医療福祉(桓武天皇から淳和天皇時代まで)

書誌事項

タイトル別名
  • Health care and welfare in the early Heian period as presented in "Nihon-Kouki"
  • ニホン コウキ ニ ミル ヘイアン ジダイ ショキ ノ イリョウ フクシ カンム テンノウ カラ ジュンワ テンノウ ジダイ マデ

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抄録

三番目の勅撰史書である『日本後紀』の記事から、平安時代初期(桓武天皇から淳和天皇時代まで)の医療福祉分野の特色を挙げた。その一は、わが国上代からの思想である「病が神の祟り」「人の霊魂が人に祟って疾病を起こす」といった考えは、平安時代初期にも信じられており、人の祟りを特に「物怪(もののけ)」と呼ぶようになったのは平安時代初期からであることが判明した。その二は、疫疾、疾病に対する防止として朝賀停止、節会停止、大赦、改元、奉幣、読経、祈祷、造仏などが行われていた。その三は、「自殺」という言葉は、弘仁元年(810)9月の記事「藤原朝臣薬子自殺す。遂に薬を仰ぎて死す」が初出であった。その四は、一時に3人以上の子を産んだ多産者に関する記事が10事例あった。その五は、加持祈祷の隆昌を特徴とする平安時代の仏教は、虚弱・神経質な貴族をますます不安に陥れ医療の普及を妨げた。その反面、僧医及び看病僧の存在、布施屋の設置など当時の仏教が医療福祉に益した利点も存在した。その六は、病を穢れとする病理観は、死期が迫った病人(この場合は主に使用人)を家から路上や河原に放り出して家の外で死なせた。

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