母娘関係の再結合と再々結合による「母性」と「自己性」の葛藤

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  • オヤコ カンケイ ノ サイケツゴウ ト サイサイ ケツゴウ ニ ヨル ボセイ ト ジコセイ ノ カットウ
  • Psychotherapeutic Review of Japanese Mother and Daughter Relationship

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抄録

日本の母のイメージと現代の具体的な母子関係はおおきく乖離してしまった。日本の子どもの一部に現れている精神病理現象の基盤には母子関係の質的変化があり、母子関係の変化をもたらしているのは家族構造の変化であると考えられる。こうした家族行動の変化と母親の子育て機能の急速な弱体化が進行し、母である女性たちの中には、家庭外に自分の居場所を見つけて子どもを拒否するか、自らも潰れて弱い者どうしの母子共生関係をつくるかのいずれかしか選択肢が見つからない状態に陥っているように見える。現代女性が神話的母親を生きることと自己実現を目指して生きることに引き裂かれて生きるという状況が、母性喪失を生じさせているといえる。母性の喪失は単に子どもの問題だけではなく、中年の課題、老年期の課題、そして家族の問題、地域の問題、社会の問題にまで拡大してきている。そのような状況を打破しようとして、女性たちは心理臨床の場で母性性と女性性が拮抗し、統合できない葛藤や抑圧してきた心情をありのままに語り始めている。とくに困難な思春期の事例の場合、母である女性が母であることを自己受容できないというアイデンティティの危機が吐露されている。CGユングは「すべての母は自らのうちに娘を含んでおり、すべての娘は自らのうちに母を含んでいる。すなわち、あらゆる女性は母にさかのぼり、娘に伝えられていく」といっている。思春期の女性や母面接、中年女性のケースにカウンセラーとしてかかわるとき、困難を感じるのは、この混沌を含んだ女性のライフサイクルのゆえではないかと思われる。最近の思春期女性の症状は、甘えと暴力化、身体言語ともいうべきプリミティブな叫びと身体化が際立っており、言語による論理的表現を嫌う傾向は、女性の論理的発達を求め、「自己性」の開発をよしとする近年日本の社会的歴史的要求に対する女性たちの反逆ではないかとさえ思われる。女性の思春期と思秋期はともにアイデンティティを模索する移行期であるという意味で類似している。思春期に始まった「自己性」の模索は、結婚のテーマに直面すると一時中断することになる。結婚によって母からの自立と自己性の追求が成り立ったかに見えるが、実は出産によって実母との結合関係は復活し、娘性が復活する。そして娘が思春期に達したころ、再度この課題に直面させられることになる。思春期に中断したところから、自己性の模索の続きが再開されることになるのである。しかし、そのプロセスは老親の介護の課題によってもう一度中断され、実母との再々結合関係が復活することで娘性が復活する。ここに現代日本女性の葛藤と個性化の難しさがあると思われる。日本の伝統的なものの見方と西欧的自我のあり方が大きくずれている現代の日本社会において、母性喪失から個性化に至るプロセスをどう支援できるかはまだまだこれからの課題である。

母性

自己性

母娘関係の再結合

再々結合

identifier:KK000300005330

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