銅鐸・武器形青銅器の埋納状態に関する一考察

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タイトル別名
  • ドウタク ブキケイ セイドウキ ノ マイノウジョウタイ ニ カンスル イチ コウサツ
  • One Consideration about the State That the Bronze Bell-Shaped Vessel / Weapon Type Bronze Ware Was Buried

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弥生青銅祭器の埋置状態について、武器形青銅器は横倒しで、刃を立てた例が多数ある。銅鐸では横倒しで鰭を上下に立てる不自然な状態が多い。銅鐸の埋置方法に思想的背景を読む見解もあるが、両者の青銅祭器を総合的に解釈することはできないものだろうか。 武器形青銅器の埋納は北部九州ではなく、より東の地域で始まったらしいと考えられている。そして中国四国地域は武器形青銅器と銅鐸を併用する地域でもある。ならば銅鐸と武器形青銅器の埋置状態に共通性があってもよかろう。荒神谷遺跡では銅矛や銅剣を置くように銅鐸も横たえ、刃、鰭を上下に立てる。多くの事例でも銅鐸と武器形青銅器は一つの埋納坑に埋められ、一括で取り扱われている。そのような祭祀を行う中で、武器形青銅器とおなじ埋置状態が銅鐸に当てはめられたとしても何ら不思議はないだろう。それが扁平鈕式新段階から突線鈕式にかけて東へ伝播した可能性を考えたい。

source:Studies on Humanities and Social Sciences of Chiba University

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