YWCA 機関紙『女子青年界』に見る河井道の平和思想

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タイトル別名
  • YWCA キカンシ 『ジョシ セイネンカイ』 ニ ミル カワイ ミチ ノ ヘイワ シソウ
  • Peace Thoughts of Michi Kawai in YWCA magazine, JoshiSeinenKai

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抄録

独立伝道者内村鑑三(1861-1930) と日本組合基督教会安中教会牧師の柏木義円(1860-1938)の平和思想、特に非戦思想は日本におけるキリスト教の平和思想を考えるうえで今なお示唆に富む。家永三郎編集責任の『日本平和論体系4』には内村と柏木と並んで、河井道(1877-1953) の平和論稿がわずか5 編とはいえ所収されていることは、内村や柏木の平和思想同様、河井の平和論もまた取り上げられるに値するとの評価のゆえであろう2。実際、河井は日本キリスト教女子青年会(TheYoung Christian Women's Association ofJapan、日本YWCA)の最初の日本人総幹事として、またその機関誌『女子青年界』の編集兼発行人として時局に応じて戦争と平和について論じ続け、20 年以上に及ぶYWCA での働きの後、世界平和に貢献する女性を育てるために恵泉女学園を創設し、戦後は教育刷新委員会委員として教育基本法制定に携わり、第一特別委員会の唯一の女性委員として戦後教育の理念と目的を論じ、平和の大切さを明確に主張したのであった3。河井の生涯は平和への熱き思いに貫かれたものであったと言えようが、その河井の平和観と戦争観についての包括的な研究は今だ十分になされてはいないのが現状である4。本稿の目的は、河井の平和思想の特質と意義を明らかにするため、初期の河井の平和観と戦争観を考察することにある。戦争に反対し平和を希求する河井の思想ははたして一貫したものだったのか。例えば、後述するが河井は1914 年の第一次世界大戦勃発直後の文章において明確に反戦の立場を示しているが、第二次大戦中に『恵泉』巻頭言に記した文章には戦意高揚や国策協力の言葉や表現が多くみられる。確かに、国家権力の監視下に置かれた戦時下において自身の恵泉女学園の生徒のことを思い、学園が閉鎖されないよう学校を守ることは学園責任者として第一に考えなければならなかったことであろう。河井の平和教育とその実践は特筆に値する一方、河井が恵泉女学園で全校をあげて日本基督教団の「愛国機献納献金」5に励んだことや「皇国臣民」の自覚から国策に従順であったこともまた事実である6。本稿では初期の河井の戦争観と平和観を考察するに際し、考察対象期間を河井が総幹事を務めたYWCA 時代に定め、機関紙『女子青年界』において戦争と平和について論じている主な論稿を年代順に概観することにしたい。河井は『明治の女子』と『女子青年界』に180 以上の文章を寄せているが、戦争と平和について論じているものは決して多いとは言えないものの、それらのうちに河井のキリスト教信仰に基づく平和観と戦争観をはっきりと見てとることが出来るからである。

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