カイロ会談と日本の対応
書誌事項
- タイトル別名
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- Cairo Conference and Japan
説明
一九四三年一一月のカイロ会談並びにカイロ宣言は、第二次世界大戦後の東アジア秩序の再編の枠組みを定めたものとして重要である。カイロ宣言は連合国側が日本帝国の解体と朝鮮、台湾、満州、太平洋諸島など植民地・占領地剝奪の方針を初めて明らかにしたものであり、ポツダム宣言第八条において、日本の領土の処分につき「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク」と援用された。本稿は、まずカイロ会談当時の日本の政治・軍事情勢を素描し、ついで、カイロ会談、テヘラン会談に対する日本の対応について、軍・政当局の情報把握と判断、大本営政府連絡会議における討議と対応決定、政府首脳による公式の演説等の対応に分けて整理し、論述する。日本政府及び軍はカイロ宣言の対日強硬方針の表明は威嚇宣伝であると捉え、表向きは「黙殺」しつつ、国内の動揺を防ぐために詳細の報道を抑えた。そして、東條英機首相による演説等の中でカイロ宣言に言及し、それは米英のアジア侵略の非望を表すものだと非難したのだった。
収録刊行物
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- 法学新報
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法学新報 123 (7), 501-516, 2017-01-16
法学新報編集委員会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1050009371656694656
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- ISSN
- 00096296
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- 本文言語コード
- ja
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- 資料種別
- departmental bulletin paper
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- データソース種別
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- IRDB