ウィリアム・ペティと経済科学の曙(2)

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タイトル別名
  • William Petty and the Dawn of Economic Science(ii)
  • ウィリアム ・ ペティ ト ケイザイ カガク ノ アケボノ(2)

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抄録

ウィリアム・ペティ(William Petty,1623-87)は,1671~76年頃に執筆した『政治算術』で「政治算術」(political arithmetick)を考案し,この経済分析方法にもとづいて国力・経済力を分析した。これは,経済的・社会的事象を科学的探究方法によって分析把握した,経済学史のうえにおける最初の試みであった。そのために,政治算術が考案されてそれが実践された『政治算術』には,経済科学の創生の兆しが見られる。彼はオランダ留学した20歳の頃から,経済的・社会的事象を算術的手法によって分析する構想を抱いていた。パリでホッブズの知遇を得たときには,その演繹的・幾何学的方法から影響を受けた。そこで帰国後の1648年頃に,ホッブズの幾何学的手法を用いて草稿「交易とその拡大についての解明」を執筆した。また1662年に刊行した『租税貢納論』において,演繹的・幾何学的方法を用いて商品価値分析をおこなった。しかしながら彼は,その後はベーコン主義者として,もっぱら帰納的分析方法に関心を向けた。王立協会が設立された1662年頃には,ジョン・グラントと親交を深め,その人口統計学から強い影響を受けた。グラントは「商店算術」にもとづいて,人口動態の分析をおこなっていた。「商店算術」とは,経済的・社会的事象を帰納的・算術的に分析する方法である。ペティはその分析方法の影響を受けて,1665年に『賢者には一言をもって足る』を執筆し,この論説で初めて算術的方法にもとづいて経済的・社会的事象を分析した。しかしながら,ここで用いられた帰納的・算術的方法は,厳密には「政治算術」ではない。この方法にもとづいて,経済的・社会的事象の帰納的分析はおこなわれているけれども,その分析による原因の探求はおこなわれていないからである。経済的・社会的事象の帰納的・算術的分析→国力・経済力の原因の発見→一般的命題の提示という道筋を辿りながら,科学的探究がおこなわれたのは,『政治算術』においてであった。

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