近代期における奄美大島宇検村からの移民について

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  • Migration from Uken Village in the Amami Island during
  • キンダイキ ニ オケル アマミ オオシマ ウケンムラ カラ ノ イミン ニ ツイテ

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本研究では近代期の宇検村を研究対象地域とし、移民の移動パターンと移動要因、移動プロセスなどを概説的に紹介した上で,宇検村からの移民送出の特徴について考察することを目的としている。近代期における奄美大島宇検村からの移民は、移住システム理論の枠組みで説明ができる。すなわち、宇検村の人口圧は極めて高いという内部条件に加えて、戦間期における慢性的に続く経済不況という外部環境による刺激を受け、村民の生活は困窮した。このような地域的な状況に対して、宇検村の人々は移民をすることで対応した。移民先は1920年代までがブラジルへ、1930年代前半は南洋群島へ、そして、1938(昭和13)年以降は満州へと、その時々の国際関係や日本の対外進出といった政治・社会状況に対応して移民先が変わっていた。ブラジル移民の事例では、宇検村出身者はブラジル渡航後に同郷ネットワークにより、居住地域に特徴が見られた。また、チェーンマイグレーションと呼ばれる連鎖移動も認められた。移住システム理論では,マクロ構造とミクロ構造の聞には、多数の「メソ構造」とよばれるような中間的メカニズムを重視する。従来の移民研究では、このメソ構造として、移民会社の役割が強調されてきたが、宇検村では移民送出に行政機関である宇検村役場が積極的に関与して、官民一体となった移民送出システムが構築されていたことが特徴としてあげられる。

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