「高等予科学生原簿」(第1号)に見る予科生の実態

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抄録

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「明治大学」には創立期から現在まで大別して四つの異なった顔を見ることができる。最初の顔は明治一四(一八八一)年に若き三名の創立者たちが開校した「明治法律学校」時代のもので、喩えて言えば童顔である。第二の顔は明治三六(一九〇三)年に「専門学校令」が公布されて「私立明治大学」という看板を掲げた時のもので、名称には「大学」という文字が含まれていても、実態は「専門学校」でしかなかった時代のものである。でもこの時代の「明治大学」関係者たちは「法規」と「私学」との確執の狭間で、文字通りの「大学」への実態の結実を追い求め、普段の改革努力と私学間の競争過程で、悶々とした歳月を積み重ねていた。この時の容貌は正に希望も悩みも多き少年期の皰顔そのものでもあった。

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