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抄録
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1066年の「ノルマン征服」Norman Conquestによって、イギリスに封建制が導入されたことは一般に認められているところである。しかもきわめて集権制の強い軍事的封建制であったことは、早くよりラウンドJ,H,Roundをはじめとして多くの研究者によって論述されてきた。ただそこでの研究対象として取り扱われている範囲は<契約的分担義務>servitium debitumの実態である軍役奉仕の具体的内容が中心だったように思われる。ウイリアム1世〔制服王〕(William I,〔Conqueror〕在位1066-87)がノルマンディからイングランドに侵略し、『ドウムズデイ・ブック』Domesday Bookの調査や<ソールズベリの宣誓>Salis-bury Oathにみられるように、《調査と忠誠》とによって経済力と軍事力を保持し、当時の西ヨーロッパにおいては他と比較できないほどの強力な封建国家を樹立したことは今更述べるまでもないところであるが、実はその背景には《封建城郭》Feudal Castleの存在が重要な意味を持っていたのである。
収録刊行物
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- 明治大学人文科学研究所紀要
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明治大学人文科学研究所紀要 17 2-1-2-25, 1979-03-25
明治大学人文科学研究所
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1050013109569395200
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- NII書誌ID
- AN00238892
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- ISSN
- 05433894
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- HANDLE
- 10291/9926
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- 本文言語コード
- ja
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- 資料種別
- departmental bulletin paper
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- データソース種別
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- IRDB