封建城郭と社会生活

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  • ホウケン ジョウカク ト シャカイ セイカツ

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抄録

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ノルマンデイ公ウイリアムは一〇六六年の九月にイングラソドに侵入し、大陸と比して中央集権性の強い国家体制を樹立したことは一般に認められている。ノルマソ王朝の歴代の国王達は軍事体制の整備・強化をもって、その中央集権性を促進したこともまた一般に容認されていることがらである。その際、軍事体制と封建国家確立の基盤に封建城郭が重要な役割を果したことも充分に肯定できる。ウイリアム征服王(一〇六六~八六)のごときはペベンシー(Pevensey)に上陸後、ただちにへースティングズ(Hastings)に城を築いている。これは「アングロ・サクソン年代記」(Anglo-Saxon Chronicle)のD・一〇六六年の項に「・・・・・・伯ウイリアムはミカエル祭の前夜[九月二十八日]にノルマンデイからペベンシーに到着し、彼らはただちにヘースティングズに城を築いた。」(English Historical Documents, Vol, II p. 144)と明記されている。

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