宣教師シドティの日本語学習と日本語力

抄録

イタリア人宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドティ(1667–1714)は,宝永5 年日本に密航潜入した。屋久島に上陸後囚われ尋問を受けたが,役人はシドティの言葉が分からず,すぐに長崎に護送した。長崎奉行所でもやはり言葉が通じず,阿蘭陀通詞および阿蘭陀商館長も「何国語ともつかぬ言葉」を喋ると述べている。  その後,江戸で新井白石によって尋問が行われたが,白石は「其問ふ所に答ふる所をきくに,かねておもひはかりしごとくに,事わづらはしからず」と言っている。さらに,その尋問から得られた情報をもとに,白石が『西洋紀聞』を書いていることを考えれば,少なくとも江戸において,シドティの口にした日本語は決して意味不明なものではなかったはずである。  当論文の目的は,シドティが話していた言葉について,可能な限り明らかにすることにある。第一章では,母国イタリアにおける,日本語(および日本についての知識)学習の契機と方法およびその範囲内容とを扱う。そのために,16・17世紀を通して日本についてどのような書籍がどれほど出版されたのかを整理して,シドティが日本語学習に使用した可能性が高い書籍を特定する。そして第二章では,彼が日本に持参していたであろう書籍を分析することによって,彼の日本語学習と知識が実際にはどのようなものでありえたかを究明したい。

収録刊行物

  • Ignis

    Ignis 2 13-36, 2022-12-31

    京都外国語大学国際言語平和研究所

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