有間皇子と大津皇子 : 『日本書紀』と『万葉集』における造形の相違

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  • ユウカン オウジ ト オオツ オウジ : 『 ニホンショキ 』 ト 『 マンヨウシュウ 』 ニ オケル ゾウケイ ノ ソウイ
  • Arimanomiko and Otsunomiko

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抄録

有間皇子と大津皇子は謀反事件で命を落とした二人の皇位継承候補者である。『日本書紀』は、有間皇子謀反事件を、斉明天皇という統治者としての資質に欠ける天皇の時代であった故に起こってしまった事件だとする考えを示している。『万葉集』の有間皇子歌群では、有間皇子のものとされる自傷歌が起点となり、結び松をもう一度見ることを望みながら果たせないまま、旅の途中で死んだ皇子として形象化されている。一方、大津皇子謀反事件については、『日本書紀』は、知的で硬派なエリートである大津皇子が、多くの知識人をカイ誤して起こした内乱であり、それを平定した持統天皇も理想の天皇として更に強固な権力を握ることになった事件として意味づける。それに対して、『万葉集』の大津皇子歌群では、秩序や常識よりも自らの欲望を優先する自由奔放、大胆不敵な性格で、そのために命を落とすことになったが、同時に他者とりわけ女性の心を掴んだ大津皇子像が描かれている。『日本書紀』の有間皇子、『日本書紀』の大津皇子、『万葉集』の有間皇子、『万葉集』の大津皇子は、それぞれの理解に基づいて、異なる造形がなされている。

大津皇子

有間皇子

『日本書紀』

『万葉集』

謀反

identifier:BO010700011468

収録刊行物

  • 文学部論集

    文学部論集 107 1-19, 2023-03-01

    佛教大学文学部

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