Madhyamakalokaにおける他不生論、ダルマキールティと世親との刹那滅論に対する批判 : 後期中観思想の形成(9)上

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タイトル別名
  • Madhyamakaloka ニ オケル タ フショウロン 、 ダルマキールティ ト セイ シン ト ノ セツナメツロン ニ タイスル ヒハン : コウキ チュウカン シソウ ノ ケイセイ(9 ウエ)
  • Kamalasila’s Criticism of Dharmakirti’s and Vasubandhu’s Momentary Theoriesand His Proof of Non-Production from Others in the Madhyamakaloka : Part I

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抄録

本稿は、カマラシーラのMAにおける五種の無自性論証のうちの一つに、四不生因による無自性論証すなわち(1)自からの不生起、(2)他からの不生起、(3)自他の二からの不生起、(4)無因からの不生起を論じる無自性論証がある。これは最初、龍樹の『中論』に表され、カマラシーラに先立ってバァーヴィヴェーカが『般若灯論』で、チャンドラキールティが『明らかな言葉』で注釈したものである。したがって、この無自性論は中観派にとり伝統的なものである。以下では、上の(2)「他からの不生起論」を取り上げ全訳と分析を行うものである。そこには、後期中観としての顕著な特徴を見て取ることが出来る。それは、他からの生起に関し、常住な因からと無常な因からとに二分して吟味され、前者に関してはウッディヨータカラによる「常住な自在神が補助因の助けを得て同時にではなく継時的に結果を生起する」との見解が、ダルマキールティのPVin II 56「常住な因は継時的にも同時的にも結果を設け得ない」を活用して論難される。他方、無常な他因からの生起説としては、ダルマキールティのPV III 246 における刹那滅論と実質的にその注釈と見られるシャーキャブッディの刹那滅論、及び世親による「竿秤の両端の上昇と下降とを喩例とする生滅同時としての刹那滅論」とを取り上げ、勝義の見地から三論師の刹那滅論への批判を通じ無自性を論じている。TS,TSP では、それらの刹那滅論は外教や説一切有部の理論を論破する際、活用されている。また、チャンドラキールティは、滅有因を主張し世俗的な見地としても、世親の刹那滅論への対応は異なっている。なお、世親による「竿秤」の喩例による生滅同時論は、チャンドラキールティ、クマーリラ、ウッディヨータカラにより、サーンキヤの『ユクティディーピカ』において論難され、ここにも、世親、ダルマキールティ以降のインド仏教思想史の動向が知られ得るのである。

ダルマキールティ

世親

刹那滅論批判

他からの生起

カマラシーラ

identifier:BR010700011482

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