1950年前後内モンゴル東部地域における学校教育と民族自治 --興安盟における小学校の「整理と向上」に着目して--

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  • 包, 福昇
    日本学術振興会特別研究員; 教育哲学・教育史学コース博士後期課程2回生

書誌事項

タイトル別名
  • Autonomous Perspective on the Development of Elementary Education in the Eastern Part of Inner Mongolia Around 1950: Focusing on the “Organization and Improvement” of Elementary Schools in the Hinggan League
  • 1950ネン ゼンゴ ウチモンゴル トウブ チイキ ニ オケル ガッコウ キョウイク ト ミンゾク ジチ : コウアンメイ ニ オケル ショウガッコウ ノ 「 セイリ ト コウジョウ 」 ニ チャクモク シテ

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抄録

本稿では、1950年前後の内モンゴル地域における学校教育と民族自治の関係を分析した。1947年に内モンゴル自治政府が成立した後、興安盟をはじめとする内モンゴル東部地域では「思想改造」「正規化」「整理と向上」といった段階で学校教育の整備が成し遂げられた。1949年頃の「正規化」の時代には自治政府も共産主義思想の普及に努める一方で、「民間興学」を奨励して、必要経費の大半を住民が負担する「民弁学校」において教員の選定やモンゴル語教育を含む教育内容・方法について一定の裁量を認めていた。ところが、1950年頃の「整理と向上」段階には「民弁学校」の統廃合を上から強力に進め、「公弁学校」を中心とする体制の形成を急いだり、遊牧地域での管理体制を模索したりした。その結果、モンゴル人社会の不満を招き、その不満への対応として、モンゴル人生徒・青年・知識人への懐柔策が出されることになった。

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