低経済成長下の名古屋における社会教育の変容―社会教育から生涯学習へ―

書誌事項

タイトル別名
  • Transformation of Social Education in Nagoya in the Period of Slow Economic Growth

抄録

高度成長時代にはよくも悪くも都市開発、工業開発のための公共機関や公共事業の新増設は順調に進展し 60 年代を終えた。70 年代初めのオイルショックは一夜にして経済社会の様相を変えた。経済面では歳入減とそれによる国と自治体の財政難であった。  低経済成長時代を迎え、国は大規模な行政改革に踏み切り、この政策に追従せざるを得なかった。予算と職員減、事業の圧縮、官公庁や公的企業に企業経営の管理法が導入されるなど、総体的な合理化・民営化策が講じられた。総じて社会教育も不要不急業務とされ、国・自治体の保障義務を負う社会教育から個人の自由・自主性(自己責任)に委ねるという意図で生涯学習という用語・概念へ移行され、社会教育(生涯学習)は市場原理化され、あたかも商品と化した。名古屋市も例外ではなかった。  90 年に入ると市民参加の停滞(運営審議会の弱体化・形骸化)青年の家の統廃合、女性会館の再構成、社会教育(生涯学習)センターの非公共化、さらに首長部局への社会教育行政の包摂化、社会教育行政の独立性の後退も危阻された。他方、国家的にはイエ中心の共同体を基礎に国家体制の強化を目指す前近代の国家観が再生し、若い世代の思想的感化を促す。高度の発達した資本主義社会において戦前の天皇制国家主義的価値観が再度登場する。戦後もそうであるが、国家体制の脆弱化を補強する補強策として、公的社会教育はこの路線の上で自助、共助を重視する青少年健全育成事業と家庭教育事業と地域の互助事業に専念させられる。  他方、市民はとくに青年や女性は公的社会教育施設・事業をとおして地域や暮らしの身近な子育て、高齢化、環境等問題に当面し、学び合い、社会参加し、自己実現したい、という自らの自立的な生き方を求め始める。こうした近代的教育価値が内在する学習活動がさらに広がり、深められ、学習の自由と自治的な社会教育システムづくりを求められた。この時代には占領当初プログラム規定の域を脱しきれなかった憲法第 26 条や教育基本法第 10 条が市民の中に実感をもって把握され、実質化されていったのではないかと考えられる。政策のいっそうの保守化、そして市民のいっそうのリベラル化という矛盾的関係性がますます大きくなった。この矛盾を市民の側からどう止揚するか、21 世紀の大きな争点となる。

収録刊行物

  • 研究紀要

    研究紀要 44 1-32, 2023-02-20

    名古屋柳城短期大学

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