井筒俊彦における「存在=意味」の哲学 : 『意識の形而上学』を〈鏡〉として

書誌事項

タイトル別名
  • Une ontologie sémantique chez Toshihiko IZUTSU : D’après La Métaphysique de la Conscience en tant que miroire épistémologique
  • イズツ トシヒコ ニ オケル 「 ソンザイ=イミ 」 ノ テツガク : 『 イシキ ノ ケイジジョウガク 』 オ 〈 カガミ 〉 ト シテ

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抄録

井筒俊彦の哲学の基体は,「存在論」だと考えられる。井筒にとっての「存在」は,「一即全」というテーゼに表象される「全一」であり,そこに看取される多層・動的な「次元」性の把持が課題となっている。同時に,哲学的「意味」に関する独自の探究が併存している。その対象は言語的「意味」に限定されない。彼の論は,いわば「言葉」にならない「意味」の根源的「遊動」の次元に垂線を降ろすものだ。言語活動の深層的活動を視野に収めるが故に,晩年の井筒は好んで「コトバ」という表記を使用するようになるが,そのような観点より,存在論と言語論が密接に関連しあった思索を井筒は展開しているのである。本論考では,その思想の一端を顕かにすることを目的に,遺著となった『意識の形而上学』を中核に据えて論じる。特に,タイトルに示される「意識」と「形而上学」という用語に付与された,井筒の認識を明らかにすることに課題を集約する。

収録刊行物

  • 人文研紀要

    人文研紀要 104 253-287, 2023-09-30

    人文科学研究所

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